更新日:2018年6月4日
梵天山法性院 善光寺 〒879-0316大分県宇佐市下時枝 電話 0978-32-7676
= 今月の掲示伝道 =
≡ 山門 ≡
≡ 東参道 ≡
= 平成30年6月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 例会
= 平成30年7月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 例会・皆作法要
≡  &  ≡
Q:
A:

お参りの道順はここをクリックして下さい。
= 境内つれづれ =
≡ 梅雨入り候… 初夏の青葉の景… ≡
 例年より早い梅雨入りに、紫陽花もまだ紫の色が弱く、境内には少し盛りが過ぎましたがサツキの真紅の色が庭をおおいます。 また昨年剪定された、本堂前の槙の木の新芽の緑が鮮やかです。
 4年前、思わぬ縁で病を指摘され、手術を受け4年目…、おかげさまで生老病死の『四苦』中『老』の進行真っ只中での、『病』の体験はまた得難いご縁で、やがてその先遠からず、必ず訪れる「死」を見据える有難いご縁を頂きました。
 近頃高年齢層が多くなり、そこにつけ込んでのサプリメント等の広告がやたらと目に耳に入ってきます。 これを飲めば…あれを塗れば…この器具にかかれば…70歳の肌が30歳代の肌に…頭ははっきり、骨太に、腰はちゃんと伸び、筋肉モリモリに2万歩も大丈夫、快食快便、ぐっすり眠れ…すっぽん黒酢に青汁、グリナ…全部まとめ買いして全てを塗って、全てを飲めば…みなさん死なずにいつまでも元気…ついつい不死への幻想を抱いてしまいませんか? いつまでも元気で長生きしたいのは、誰しも同じ思いですが、人間を含め、すべての命には、必ず限りというものがある。
 お釈迦様の説かれた『生老病死』の理(ことわり)を正しく見つめ、思惟し、やがて訪れる命の終わりに臨んで、どういう状態で迎えたいか、時々は考えてみたいものです。

 ―『善導大師』著 「発顔文」「願わくは弟子等 命終の時に臨んで 心転倒せず こころ錯乱せず こころ失念せず 心身に諸々の苦痛なく 心身快楽にして 禅定に入るがごとく … 」 ―
= コ・ラ・ム =
善光寺の鎮守様「鎮守三宮」

 平成20年(2008)善光寺の東北(艮=うしとら)にあたる本堂裏に新しい善光寺の鎮守様の社が建てられた。 この社はかって裏山の中に鎮まっておられたが痛みが激しくなったため解体移築されたものである。 社にはかってあったであろう鳥居の額が残されており、それには「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」と刻されており、三神が祀られていたことがわかる。 お社は一間社流造りのなかなか優美な社殿である。
 旧社殿は、森の中で落ち葉が積もり、木が倒れ屋根の一部も崩れ落ちるような状況となり平成19年(2007)2月解体移築をすることとなった。 解体移築するために遷座する際、内陣の小社(天神社、熊野社)の裏に墨書がみとめられた。 二社とも同様の墨書であるので、熊野社の墨書を掲げる。
 墨書中「神佛合併」の語はその意味がはっきりしないが、次のような経緯があったと思われる。 すなわち慶応4年(1868)3月(9月より明治元年)太政官布告で神仏習合が禁止され、この三神も村社に合祀されることになった。 3月28日神衹官事務局達には「一、中古以来、某権現域ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不小候、何レモ其神社之由緒委細ニ書付、早早可申出候事・・」とある。 鎮守の額「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」の「大菩薩」「大権現」は「仏語ヲ以神号ニ相称」にあたるのでその時鳥居は撤去されたと思われる。 社殿については合祀されたときどのようにしたのかは定かではない。
 それから50年後大正7年(1918)森の中に再び遷座され、そして89年後また、本堂裏、艮の方に遷座することになったのである。
参考文献 : 豊前善光寺史
善光寺の古文書 (第12回 平成30年4月)
『寄進米の受け渡し』
     手形             呼び出し状
 第五回「細川寄進状」で慶長年間細川氏より20石寄進された文書を紹介しました。 その20石は代々領主にも引き継がれ、時枝領から9石9斗、幕領であった高家分が10石1斗、合計20石が幕末まで寄進されてきました。
 その寄進米はどのように受け渡しされていたのでしょうか。 今回は寄進米の受け渡しに関係した文書を取り上げてみました。 残されているのは幕末から明治にかけてのものと考えられます。 時枝旗本領の方ではなく、幕領であった旧高家村の分しか残っていません。
 右上の文書は寄附米の受け渡しについての話があるので四日市の役所に出頭するように、という呼び出し状。 左上は寄附米を渡す際の手形(引き渡し証)です。 但しこの手形は、呼び出し状が出された年のものではなく、その前年のものです。
 寄附米の受け渡しについて考えてみます。 さらに、手形は「卯」の11月、慶応三年(1867)。 呼び出し状は「辰」の11月26日、明治元年(1868)になります。 二つの文書は、江戸時代の手形。明治元年の呼び出し状、ということになります。 時代の激変の中、これらの文書から何かわかることがあるのでしょうか。
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■平成30年 春彼岸 大分米一升運動(H30年3月)
■善光寺に伝わる古文書紹介と解説の項目を追加しました。(H27/7) 
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