更新日:2018年2月3日
梵天山法性院 善光寺 〒879-0316大分県宇佐市下時枝 電話 0978-32-7676
= 今月の掲示伝道 =
≡ 山門 ≡
≡ 東参道 ≡
= 平成30年2月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 例会
■11日
 開山忌(空也上人忌)
■15日
 涅槃会(釈迦涅槃図公開)
= 平成30年3月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 例会
≡  &  ≡
Q:
A:

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= 境内つれづれ =
≡ 平成30年度文化財防火訓練の様子 ≡
  今冬、度々列島を覆う寒波、善光寺境内も数回、雪化粧を施されました。 本堂の屋根、境内の木々が白一色に覆われると、私の心も仏様から清浄な光明を頂いた気持になるようです。 今月本門の掲示伝導に引用させて頂いた、明治、大正期の念仏妙好人(荒巻くめ女)『極楽の花のような雪がふる 雪をながめて(お念仏)申す日もあり』の歌が有難く頂けます。
 1月26日は文化財防火デー、昭和24年、現存する世界最古の木造建築物、奈良法隆寺の金堂の壁画模写中、電気座布団が原因で堂内壁画の大半が焼失、同年2月、6月と2件の文化財を焼失、その後昭和30年、貴重な文化財を火災から護るため、1月26日を文化財防火デーと定められました。
 善光寺でも当日午後1時半より県、市、消防署立会いのもと、住職、善光寺自衛消防団の皆さんが、防火用ポンプエンジン始動、放水銃2基より本堂屋根越しに放水、その後消防署の消火諸システムの点検などを得て無事終了…。 文化財を預かる者として常日頃から朝夕の巡回、防犯、諸設備のメンテ等に細心にしかも絶えず気を配らなくてはなりません。
 来年度は文化庁、県、市などの助成を得て、本堂向拝口の屋根修理、度重なる熊本地震の影響による本堂側面羽目板、壁漆喰の修理が予定されています。
= コ・ラ・ム =
善光寺の鎮守様「鎮守三宮」

 平成20年(2008)善光寺の東北(艮=うしとら)にあたる本堂裏に新しい善光寺の鎮守様の社が建てられた。 この社はかって裏山の中に鎮まっておられたが痛みが激しくなったため解体移築されたものである。 社にはかってあったであろう鳥居の額が残されており、それには「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」と刻されており、三神が祀られていたことがわかる。 お社は一間社流造りのなかなか優美な社殿である。
 旧社殿は、森の中で落ち葉が積もり、木が倒れ屋根の一部も崩れ落ちるような状況となり平成19年(2007)2月解体移築をすることとなった。 解体移築するために遷座する際、内陣の小社(天神社、熊野社)の裏に墨書がみとめられた。 二社とも同様の墨書であるので、熊野社の墨書を掲げる。
 墨書中「神佛合併」の語はその意味がはっきりしないが、次のような経緯があったと思われる。 すなわち慶応4年(1868)3月(9月より明治元年)太政官布告で神仏習合が禁止され、この三神も村社に合祀されることになった。 3月28日神衹官事務局達には「一、中古以来、某権現域ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不小候、何レモ其神社之由緒委細ニ書付、早早可申出候事・・」とある。 鎮守の額「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」の「大菩薩」「大権現」は「仏語ヲ以神号ニ相称」にあたるのでその時鳥居は撤去されたと思われる。 社殿については合祀されたときどのようにしたのかは定かではない。
 それから50年後大正7年(1918)森の中に再び遷座され、そして89年後また、本堂裏、艮の方に遷座することになったのである。
参考文献 : 豊前善光寺史
善光寺の古文書 (第11回 平成30年1月)
『古記録扣』(こきろくひかえ)
 今年は明治元年から150年にあたるようです。 年の初め、今回は明治元年の前年慶応三年に記録された『古記録扣』を取り上げます。 「扣」は「控」と同じです。
 記録を残したのは四代前の宗譽。 和本で小横帳(横半帳)と呼ばれ、サイズはB6判よりも一寸大きめ、43丁、86頁の小型の冊子です。 内容は表題の通り善光寺に残っていた古記録の控をとったものです。 空也上人の還化から始まり、修理再建の記録、寄付の記録などを控えています。 最後は慶応三年に時枝陣屋に寺の重要文書を提出した際の目録帳控を載せています。 恐らくはこの時、寺の古い記録も併せて『古記録扣』としてまとめたものでしょう。
 現存する寺の文書では知ることのできぬ事柄も記録されており、いまとなっては貴重な記録です。 惜しい事にはその記録は何に依ったものか、文書名などが記録されていません。 今『古記録扣』で知ることのできる部分は、メモ程度の目立たぬ文書・記録であったと思われます。 それだけによくぞ記録を残してくれた、と思います。
 上に掲げたのは、江戸時代の正月準備、門松たてについて記録した部分です。 記録した頃は毎年繰り返される歳末の仕事であったでしょうが、今となっては「そんなことだったのか」と思う、これも一つの歴史を知る記録です。 くわそくはこれを書いた宗譽=龍天さんの木像の紹介と共に解説でどうぞ。
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■平成29年 春彼岸 大分米一升運動(H29年3月)
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