更新日:2017年8月11日
梵天山法性院 善光寺 〒879-0316大分県宇佐市下時枝 電話 0978-32-7676
= 今月の掲示伝道 =
≡ 山門 ≡
≡ 東参道 ≡
= 8月の予定 =
■4日(午前10時~正午)
 大施餓鬼会
■13日~15日
 うら盆会
■16日(午後7時~午後9時)
 閻魔盆踊り
  地獄極楽絵図公開
= 9月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 例会(念仏と法話の集い)
≡  &  ≡
Q:
A:

お参りの道順はここをクリックして下さい。
= 境内つれづれ =
≡ 盂蘭盆を控え大切なお寺の行事 ≡
 
= コ・ラ・ム =
善光寺の鎮守様「鎮守三宮」

 平成20年(2008)善光寺の東北(艮=うしとら)にあたる本堂裏に新しい善光寺の鎮守様の社が建てられた。 この社はかって裏山の中に鎮まっておられたが痛みが激しくなったため解体移築されたものである。 社にはかってあったであろう鳥居の額が残されており、それには「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」と刻されており、三神が祀られていたことがわかる。 お社は一間社流造りのなかなか優美な社殿である。
 旧社殿は、森の中で落ち葉が積もり、木が倒れ屋根の一部も崩れ落ちるような状況となり平成19年(2007)2月解体移築をすることとなった。 解体移築するために遷座する際、内陣の小社(天神社、熊野社)の裏に墨書がみとめられた。 二社とも同様の墨書であるので、熊野社の墨書を掲げる。
 墨書中「神佛合併」の語はその意味がはっきりしないが、次のような経緯があったと思われる。 すなわち慶応4年(1868)3月(9月より明治元年)太政官布告で神仏習合が禁止され、この三神も村社に合祀されることになった。 3月28日神衹官事務局達には「一、中古以来、某権現域ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不小候、何レモ其神社之由緒委細ニ書付、早早可申出候事・・」とある。 鎮守の額「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」の「大菩薩」「大権現」は「仏語ヲ以神号ニ相称」にあたるのでその時鳥居は撤去されたと思われる。 社殿については合祀されたときどのようにしたのかは定かではない。
 それから50年後大正7年(1918)森の中に再び遷座され、そして89年後また、本堂裏、艮の方に遷座することになったのである。
参考文献 : 豊前善光寺史
善光寺の古文書 (第9回 平成29年7月)
「家を売る」
 今回は証文を取り上げます。 善光寺に残された文書の中には貸し、借りともに証文が何通か残されています。 善光寺が関係したものがほとんどですが、この証文は直接善光寺が関係したものではありません。 なぜ寺の文書の中に残っているのかは、よくわかりません。 売り主、買い主など関係者と何らかのつながりあったのかもしれません。

「売渡申家之事」というこの証文の関係者は売り主が「太吉」さん。 買い主が「武平」さん。 売り主の五人組の惣代「次四朗」さんです。 売られたのは文化二年。 売値は「七五銭六拾目」となっています。 文化二年は西暦でいうと1805年。 将軍家斉50年の前半、前の年にロシアのレザノフが漂流民を護送、長崎に通商を求めて来航しました。 そろそろ西洋列強の開国の嵐が吹き出した頃です。

 この証文は売った家についてその形状が記されています。 売値についても、詳しい事はよくわかりませんが、興味深い書き方をしています。 江戸太平の世も200年が経過し綻びが目立つようになったころです。 この証文のなかにもこの時代の生活の様子、経済状況がうかがえるようです。

 解説ではもう一通の証文も取り上げます。
ここ』又は上の写真をクリックすると読みなどが参照できます。
≡ ご連絡・ご報告・ご案内 ≡
※表題をクリックしてください。文書を参照出来ます。※
■平成29年 春彼岸 大分米一升運動(H29年3月)
■善光寺に伝わる古文書紹介と解説の項目を追加しました。(H27/7) 
↑Pagetop
Copyright(C) 豊前善光寺 All rights reserved.