更新日:2018年1月4日
梵天山法性院 善光寺 〒879-0316大分県宇佐市下時枝 電話 0978-32-7676
= 今月の掲示伝道 =
≡ 山門 ≡
≡ 東参道 ≡
= 平成30年1月の予定 =
■元旦 (午前6時~)
 修正会
■2日夕~5日朝
 年頭別時念仏会
■4日(午後1時半~)
 初例会
= 平成30年2月の予定 =
■4日(午後1時半~)
 初例会
■11日
 開山忌(空也上人忌)
■15日
 涅槃会(釈迦涅槃図公開)
≡  &  ≡
Q:
A:

お参りの道順はここをクリックして下さい。
= 境内つれづれ =
≡ 平成29年大晦日 第15回除夜の夕べ の風景 ≡
 新年おめでとうございます。 本年も善光寺ホームページをどうかよろしくお願いいたします。
 昨年末から新年を迎えるまでは大変多忙でした…。 本年、国指定重要文化財、本堂向拝屋根修理、数度の地震による諸処の修理に関するヒアリング資料の作成、はたまた23日には親しくご指導を頂いた中津円応寺前住職の遷化、26日27日の通夜、本葬の導師、その合間を縫って諸堂宇の迎春準備、31日はお檀家のKさん他数名のお手伝いを得て竹灯りの準備。 心配された風雨もどこへやら、午後9時頃除夜の鐘の用意、準備万端の中、甘酒、ぜんざいなどの接待料理、和やかに鐘を撞いて頂きました。 もちろん百八で終わりでなく、住職の煩悩と同じ数?撞かれました。 竹灯り等の後始末を終え、就寝が2時半…、明けて元旦午前6時より修正会(しゅうしょうえ)数名のお檀家様と寒い本堂での木魚念仏1時間…、7時半、朝の鐘を撞いて、お屠蘇とおせちをと思いましたが、ドット年末の疲れがでたのか、食欲無く、形ばかりそこそこに済ませました。
 2日夕より5日朝まで『年頭別時会(ねんとうべつじえ)』今年も十数人の方が入れ替わり立ち代わり参加され、1年のスタートをお念仏裡修養しました。 スケジュールの一端を『起床午前4時半、5時本堂入堂7時半まで念仏三昧、朝食後8時半から正午まで、夜は9時まで念仏と、本堂で座る時間が1日で11時間半… かなりハードな3日間です。 この行事も先代がシベリア抑留から帰還(ダモイ)し昭和23年から、今年は70回の記念すべき別時会でした。
 また4日は午後1時より初例会を兼ねた檀信徒新年互礼会、約50人の方が集い、念仏裡、岩崎念唯上人の講話を拝聴しました。
= コ・ラ・ム =
善光寺の鎮守様「鎮守三宮」

 平成20年(2008)善光寺の東北(艮=うしとら)にあたる本堂裏に新しい善光寺の鎮守様の社が建てられた。 この社はかって裏山の中に鎮まっておられたが痛みが激しくなったため解体移築されたものである。 社にはかってあったであろう鳥居の額が残されており、それには「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」と刻されており、三神が祀られていたことがわかる。 お社は一間社流造りのなかなか優美な社殿である。
 旧社殿は、森の中で落ち葉が積もり、木が倒れ屋根の一部も崩れ落ちるような状況となり平成19年(2007)2月解体移築をすることとなった。 解体移築するために遷座する際、内陣の小社(天神社、熊野社)の裏に墨書がみとめられた。 二社とも同様の墨書であるので、熊野社の墨書を掲げる。
 墨書中「神佛合併」の語はその意味がはっきりしないが、次のような経緯があったと思われる。 すなわち慶応4年(1868)3月(9月より明治元年)太政官布告で神仏習合が禁止され、この三神も村社に合祀されることになった。 3月28日神衹官事務局達には「一、中古以来、某権現域ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不小候、何レモ其神社之由緒委細ニ書付、早早可申出候事・・」とある。 鎮守の額「八幡大菩薩、熊野大権現、大自在天神」の「大菩薩」「大権現」は「仏語ヲ以神号ニ相称」にあたるのでその時鳥居は撤去されたと思われる。 社殿については合祀されたときどのようにしたのかは定かではない。
 それから50年後大正7年(1918)森の中に再び遷座され、そして89年後また、本堂裏、艮の方に遷座することになったのである。
参考文献 : 豊前善光寺史
善光寺の古文書 (第11回 平成30年1月)
『古記録扣』(こきろくひかえ)
 今年は明治元年から150年にあたるようです。 年の初め、今回は明治元年の前年慶応三年に記録された『古記録扣』を取り上げます。 「扣」は「控」と同じです。
 記録を残したのは四代前の宗譽。 和本で小横帳(横半帳)と呼ばれ、サイズはB6判よりも一寸大きめ、43丁、86頁の小型の冊子です。 内容は表題の通り善光寺に残っていた古記録の控をとったものです。 空也上人の還化から始まり、修理再建の記録、寄付の記録などを控えています。 最後は慶応三年に時枝陣屋に寺の重要文書を提出した際の目録帳控を載せています。 恐らくはこの時、寺の古い記録も併せて『古記録扣』としてまとめたものでしょう。
 現存する寺の文書では知ることのできぬ事柄も記録されており、いまとなっては貴重な記録です。 惜しい事にはその記録は何に依ったものか、文書名などが記録されていません。 今『古記録扣』で知ることのできる部分は、メモ程度の目立たぬ文書・記録であったと思われます。 それだけによくぞ記録を残してくれた、と思います。
 上に掲げたのは、江戸時代の正月準備、門松たてについて記録した部分です。 記録した頃は毎年繰り返される歳末の仕事であったでしょうが、今となっては「そんなことだったのか」と思う、これも一つの歴史を知る記録です。 くわそくはこれを書いた宗譽=龍天さんの木像の紹介と共に解説でどうぞ。
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